【1日1読】市川浩『ベルクソン』

われわれは散文的な日常のなかで惰性的に生を送り、いわば慢性的な圧力低下の状態にある。
とはいえささやかなものであろうと、ときとして意味の充実を経験することがあるだろう。

私がこの文章に出会ったとき、それは誰もが分かち合うものなのか! という発見と、それを誤解の余地なく言語化できる書き手の能力に、気が遠くなったのを憶えています。

本書は講談社『人類の知的遺産』の59巻。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの生涯と思想を紹介し、著作の抄訳も収録。
で、この著者の市川浩が、とても優れた哲学者なんです。
身体論=人間の身体を考察する考え方に新風を吹き込んだ、『精神としての身体』は日本語の哲学書の中でも名著の中の名著です。

心と体の、とても微妙な様子や変化や性質を、明晰に表現する。
それが市川の優れた才能なのですが、上の文章は、本書の序文で、まだベルクソンのべの字も出ていない。

惰性的に生を送っていない人は珍しい。慢性的な圧力低下と言われると、思い当たることはいくらでもある。それが普通です。
そこに、あるとき変化を感じる。それもまた、誰にでもあることですよね。
市川はそれを「意味の充実」と表現しています。

私たちは、意味の充実を、今日という時間の中でどれだけ見つけられるでしょうか?
すれ違った小学生が楽しそうに笑い声をあげていた、
舌がしびれるほど美味しいものを食べた、
そして、言葉にできない喜びを意識したときにも、それは「意味の充実」なのです。

そして、「意味の充実」は、他人に対して作ってあげることもできます。
誰かとともに、慢性的な圧力低下に抵抗することこそが、ビジネスやカルチャーや生活そのものを支えているのです。

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