詩学調査員のフィールドノート

見よ、今、1人の若者が日比谷公園を横切って、図書館に入った。
3階で図書分類番号のゼロ番、「総記」の棚からいくつか本を引き抜くと、その足で美術館の図録も抱え、机の上に積み上げては、流し読みをしてゆく--

と、何冊目かの図録の、決して世間では有名ではない芸術家の、代表作でもない作例のひとつに、何か特別なものを見つけでもしたかのように、ジッと眼を凝らし始めた。
表情ひとつ変えず、眺めているのか、眺めているふりをしながら考えているのか、どちらにも見える。

彼の暗い脳内で、ある哲学者の言葉が響き渡っている。それは書籍に記された文章として知っている言葉だったが、哲学者本人の声を毎週聞いていた時期がある彼にとっては、はっきりとした音声をともなっている。
「意味とは創り出すものです。根拠でも、理性でも、道徳でも、掟でも、われわれはそれを新たに作り出さなくてはならない。」
その通りだ、と、彼は思う。そして、それができる人間は滅多にいないのだ、とも……

やがて、高く積んだ書物にまだ眼を通し切っていないというのに、彼はそれを丸ごと抱えて、書棚に戻しに行った。
本を読むことの喜びは、彼が1日にどれほどの時間を読書に割いても尽きることはなかったが、午前の首都に差す陽の光、文字、色彩に、彼の眼球は休息の必要性を彼に説いていた。
眼球はこうも語った、「詩学調査員よ、この連日、君は50cm以内にピントを合わせてばかりだ。君が美しいと感じるものを若くして失いたくないなら、視力にだけは気をつけろ」。

この若者--男、と呼ぶには若すぎ、顔立ちには幼さが浮かんでいるが(それは彼の私生活を極めて不利にしているもののひとつだ)、学生と呼ぶには眼のあたりなど厳しさが宿り、彼を初めて目撃する者に、ある種の音、微かでありながらなぜか記憶に残り、どう考えても初めて聴くのに親しみを覚えるような物音に似た、奇妙な印象を与える。
白い上着の襟を立てて、小さな体格に似合わず大股で背を伸ばして歩き、眼鏡をかけ、あるいはかけない時もあり、髪型次第でまるで別人のように見えると噂される彼は、また公園を横切り、高層ビルの足元を歩いてゆく。
彼には縁のない男装女優劇のポスターや高級化粧品店の窓に、彼の白い上半身が、束の間反射して過ぎる。
あの早歩きの若者、職業も年齢もすぐには想像できない、髪が伸びていれば性別すらすぐには断定されない、あの若者は、私だ

「詩学調査員」とは何か。
それは、詩の意味を明晰に策定し、そこに新たな意味を与える役目を担った者のことだ。
詩は、紙の上に文字を使って書かれたものとは限らない。
言語とはなんの関わりもないものにも、固有の価値と、新たに見出されるべき意味が宿っていることは多い。
また、詩として表出されたわけではない何らかのなにげない表現が、詩学調査員の調査対象となるかもしれない。

詩学調査員にとり、書物を読むことは、趣味でも、仕事でもない。
それは、使命と呼ばれるべき何かだ。

詩学調査員の功績は、すぐに他者に伝わるとは想定されない。
新たな意味、とは、これまでの意味体系と価値体系の内側からは視認できないのだ。
ただ、自分が内側に棲まう者に過ぎず、外側もきっとあるのだろう、と頭のどこかで考えている者には、詩学調査員のレポートは、無意味とは思われない。

詩学調査員は、ひとりではない。
それはかつて幾人もいたし、これからも生まれる。
あなたもまた詩学調査員であるならば、どこかで彼と擦れ違うことだろう。

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「詩学調査員のフィールドノート」は、彗星読書倶楽部の管理人による連載企画です。
言葉の現場を歩く、という観点から、書物や芸術作品を解説します。