僕は学校の怪談が消えた時代の小学生だった

怪談が好きすぎて、怪談の読書会をやります。

怪談が好きだ。
図書館に通いだした幼稚園児の頃には、日に焼けた、古い匂いのする講談社の『学校の怪談』を借りては親にねだって読み聞かせてもらっていたし、
夏でも冬でもホラー漫画や小説は読むし、
高校生の頃から、家族が寝静まったあとでひとり『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズを観ては、5本に1本くらいの確率で出てくる当たりで「うわ、やばいやばい」と思いながら鳥肌を立てるのが快感になった。
今は毎年、稲川淳二のライブに通っている。

そのくせ、お化け屋敷はムリなんだけどね。

学校の怪談(6) (講談社KK文庫)
いやはや、楢喜八の絵は脳に刻み込まれましたな


さて、今月8月の月イチ読書会は、8月19日に、根津の古本&カフェ「緑の本棚」さんで読書会をやることになった(いつも使わせていただいてありがとうございます)。
その課題図書が、『新耳袋 第4夜』の最終章「山の牧場にまつわる十の話」なのだ。

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現代怪談の金字塔「山の牧場」とは?

この話は、怪談好きのあいだでは知らない者はいない、有名な話。

著者の中山市朗が学生時代、仲間と偶然たどり着いてしまった、山の上の牧場らしき施設。
そこには不可解な特徴がそこかしこに見られた。
転覆したトラクター。
階段がどこにも無いため登れない二階部分。
大量に貼られた御札。
襖に殴り書きされた「たすけて」という文字。
壁を覆う、見たこともない奇妙な文字の羅列。
山から帰ってみれば、地元の人はそんな場所は知らないという。
しかしこのあと、あの場所を調べれば調べるほど、事態はややこしくなっていく。


ちょっと似たものがない種類の不気味さで、初読時は、なかなか拭い去れない悪寒を覚えた。
この話、とにかく、山の上の施設の正体がわからない。
判断材料をいくら集めても、まともに推理が出来ない。
で、未だに、ここの正体はわかっていない。
これが、強烈な読後感の原因となっている。

新しいタイプの怪談が生み出されつつある。
その特徴は……


怪談が好きだ、と書いた。
でも、手垢のついた因果話は、最近、受け付けなくなった。
だから、「累が淵」「番町皿屋敷」といった落語の怪談を聴いても、怖いと思うことはまず無い。
凡百のホラー小説も、話の面白さと一定の長さを優先して書かれているから、怪異の原因が必ず究明される。
それは、当たり前だが、必ず、人間が理解可能な原因となっている。


しかし冷静になると、それは変なのだ。
常識では説明できない、幽霊の祟りのような出来事が起こったのに、その原因はだいたい恨みのような、人間なら誰にでも容易に納得できる仕組みになっている。
つまり、そうではない、人間に全く理解の出来ないルールがどこかで働いている、というパターンは、それほど多くはない。


「山の牧場」や、中山昌亮の漫画『不安の種』のような、不可解な現象の発生理由が一切わからない怖さ、というものを高校生のときに知って、それこそ僕が求めている怖さだと思って以来、これはもうレベルが違うと思うようになった。

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今では、僕がわざわざ時間をかけて読み、また語るに値するホラーは、正体のわからない気味悪さ=「不安」を含むものだけだと思っている。

「学校の七不思議」は、もう無かった


ところで、幼稚園児の僕は、小学校へ行ったら、そこには必ず「学校の怪談」や「七不思議」があって、代々口伝されているのだと信じていた。
なのに、小学校にも、中学校にも無かったし、この24年間で心霊現象に遭ったことじたいほとんどない。
残念なことだと思う。


その学校固有の怪談を持つ小学校、というものは、かつてはあったのだろうか?
怪談研究の本を読むと、少なくとも20世紀の終わり頃まではあったと思われる。
ただ、ローカルなものじゃなくて、広範囲に拡がるタイプもあったわけだ。

1979年の夏から80年にかけて、口裂け女の噂が流行った。ニュースで報道されたから、爆発的に広まった。

1990年には、人面犬だ。これはラジオが一役買った。

僕が小学校に入学したのは、2000年。
何か起こってもいいじゃないか。
もちろん、ヤバい何かは現れず、代わりに(?)ニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込んだことで、世界的に「恐怖」というものの質が変わってしまった(のかもしれない)。


学校の怪談もない、口裂け女のような「怪人」もいない、そういう時代になった。
代わりに、メディアの中で言語化される「怖いもの」は、サイコパスとか、虐待といったものになった。
社会の黒い部分が明確に浮き上がってきたということか。
もちろん、そうなって良かったと思っている。
また一方で、この21世紀に語るにふさわしい、新しいタイプの怪談の出現には敏感でありたいとも思っている。

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