【インタビュー】蒲田教会・林牧師への10の質問 後篇

前篇に続き、蒲田教会の林牧師へのインタビューをお届けします。

蒲田教会のウェブサイトはこちら。

6、キリスト教に関わる文学作品のなかで、優れていると思うものは?

ーーキリスト教に関わる文学作品のなかで、優れていると思うものは何ですか?

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』は筆頭に上がるでしょう。

ーー僕の読書経験の中でも、キリスト教がテーマの作品ならば『カラマーゾフ』がベストです。

『罪と罰』もあるから、やはりドストエフスキーと、それからトルストイC・S・ルイス『ナルニア国物語』も。日本なら遠藤周作……って、それは定番ですけども、彼ならば『沈黙』『侍』あたりは非常にオススメ。重松清には、モロに『十字架』という作品があります。
他にも、太宰治の娘、津島佑子『ジャッカ・ドフニ』。キリシタンものなんだけど、とても良かったよ、批評家の柄谷行人もとてもこれを褒めてた。
柄谷行人が、最近キリスト教に接近しているんです。岩波新書の『憲法の無意識』。この本の中でキリスト教について論じられていました。
あと、詩人でエッセイストの若松英輔ですね。彼はとても活発に活動しています。

7、エホバの証人をどのように捉えている?

ーーここ3年ほど、エホバの証人の信徒が駅前でパンフレットを配布している姿を頻繁に見かけるようになりましたが、プロテスタントの方から見ると、彼らはどのように捉えられているのでしょうか。

異端の一つに数えられているように思えます。
もちろん、一言で言えない部分もあるでしょうが、「血を混ぜてはいけない」という旧約聖書の記述に由来する輸血拒否、「戦わない」という思想のため授業で柔道をしない、といった日常のルールから、そのように捉えられているのかと。
過去に経験したことですが、教会で葬儀があって、その親戚にエホバの証人の方がいらしたんです。「一緒に祈りましょう」と言ったら、拒否されました。

ーー彼らには彼ら独特のやり方があるということなんでしょうか。

そうだと思います。彼らから見ると、僕らの方が異端という見方なのでしょう。
あと、かつて話題になりましたが、子供を連れて各家庭を訪れ勧誘するという問題性。平日に子供を学校に行かせないケースが問題になりました。
別に、エホバの証人と戦うことなんて考えていません。元エホバの証人の方が「蒲田教会に行っていいですか?」というお問い合わせが時々あり、実際に来てくださった試しはあまりないけど、いつでもどうぞ、と迎えています。教会の中でエホバの証人を宣伝するなら困るけど、来てくださるのは嬉しいですね。
エホバの証人や統一教会を脱会して、日本キリスト教団の牧師になっている人もいます。中には、脱会者であり牧師でもある人が、エホバの証人や統一教会に「家族を取られてしまった」人たちから依頼を受け、洗脳を解く活動ーー”救出活動”と彼らは呼んでいますがーーをしていることもあります。

ーー急に彼らの勧誘活動が(向こうからは話しかけてこないとは言え)活発になっているように見えるのは、信者数が少なくなっていることに危機感を持っているからなのでしょうか。

今はどの教団も信者数が少なくなっていますからね、彼らなりの行動だと思います。

ーー信徒が増える、というのは、信徒の家庭に新たな子供が生まれるケースが大半を占めているのだとは想像しますが、現代は少子化で、かつてほどは増えないでしょう。

宗教的需要はあるんだろうけれども、新興宗教に流れているのではないでしょうか。
幸福の科学って、結構うまく信者獲得に成功しているのだと思います。信者獲得という意味では、既存の宗教は頭打ち。エホバの証人が比較的新しい異端であるとは言え、幸福の科学やオウムに比べたら古いですし、何より新しい宗教の方が、メディアの使い方が上手いですから。
幸福の科学の場合、本を読むと”ステージアップ”でしょう? 若い人にはとっつきやすいやり方かもね。
実は戦後、キリスト教ブームがあったんですよ、美智子さんが聖心女子学院の出身だったりして。でも、戦後のキリスト教を担った人たちが今は70〜90歳だから、人口が減っていっている。
あと加えるなら、世俗社会だから、ということもある。

ーーそうですね。僕は、宗教を必要とする人はどの社会にも必ず一定数いると考えていますが、今の社会の中では、自分の人生の支えとして「宗教という選択肢」があると気づくチャンス、その選択肢を選んでもいいんだと気づくチャンスが見えにくくなっているのではとも思います。信者の方々が今後どのように信徒でない人に向かってアプローチしていくのか注目したいところです。

唯一増えていると言えるのは、熱狂的なタイプのキリスト教。コンサートホールを使って音楽を演奏しながら「ハレルヤ! 主を讃美します!」と叫ぶようなやり方で人を増やしているところがあります。

ーー南米にそんな動きがあるというのは海外の新聞記事で読んだことが……

そうそう、南米にはそういうグループがある。南米には若い人の人口が多いじゃないですか。年齢別人口もピラミッド型だし。いわゆる第三世界と呼ばれるような地域では、ペンテコステ派と呼ばれる人たちが、そのようなかたちで増えているんですよ。

8、クリスチャンではなかった人生を考えることは?

ーークリスチャンではなかった人生を考えることはありますか?

僕は父親が牧師だったから、自分も牧師になったけれども、
今度生まれ変わったら、プロテスタントじゃなく、カトリックの方がいいな、とも思ったり……

ーーそうですか! それはなぜ?

なんというかな、若い時は、カトリックのベタな部分があまりよくわかっていなかったけれども、若松さんの影響もあり、物事の深みに入っていくという性質は、実はカトリックの方が持っている気がするんですよ。それがカトリックの人々の中で意識されているのかはわからないけれど。
プロテスタントには、大切な言葉はあるけれども、思想として存在の深みに入るという側面が強いのかというと、そうではないように感じます。
つまり、生き方ということで考えれば、今と別のかたちの宗教性を持った生き方はあり得たかもな、と。クリスチャンじゃなくても、宗教じゃなくても、「存在の神秘」とでも呼ぶべきものに触れていく生き方はあったのかもしれない。

ーー今のお話を聞いて思い出したことがあります。先ほど文学作品の話題になりましたが、ドストエフスキーの次に僕が思いついたのは、詩人のリルケでした。彼は別にクリスチャン詩人ではないですが、初期の作品にはキリスト教におなじみの単語が出てはきても、キリスト教的な色合いが強いわけではない。主、という単語が出てきても、キリスト教の神概念よりも広い意味範囲を持っている、というのがリルケ学者の間でも定説のようです。林牧師の「存在の深み」というのは、リルケが表現しようとしていたものではないかと、ふと思いました。

これは若松さんの書いていたことですが、リルケの詩も聖書の預言者も同じなんですよね。論理的に構築された言葉じゃなくて、何かが降りてきて出てきた言葉でしょう。イタコのように、もの凄さがある。僕らが「この言葉どういう意味?」と考えて楽に解析していける、そんな言葉じゃない。狂気に近いところから生まれる。若松さんに言わせれば、そこに存在の深みが読み取れる、と。
ただ、リルケのような難解な詩もあれば、平易な言葉の中に神秘を語っているものもありますよね。

9、聖書の「詩篇」をどう読むか

ーー僕は聖書の中でも「詩篇」が際立って特異だと感じています。「神」という単語が驚くほど頻出する。明治学院高校でも礼拝の説教の中で一度も取り上げられることはありませんでした。クリスチャンの人が「詩篇」をどう読んでいるのか気になっています。

詩篇は、説教の中で使うというよりも、讃美歌の中で使われます。詩人が神を讃美したり、神に文句を言ったり、神に呪いの言葉を投げかけたり。あれは、神から人間へ向けた言葉ではなく、人間の側から神に対する反応なんですね。だから讃美歌扱い、神からの言葉とは読まない、という文脈があると思います。
それに、「詩篇」の中には取り扱いが難しい箇所があって、「敵を滅してください」なんてフレーズ、礼拝の中で読むわけにはいかないですからね!
ただ、人間と神の格闘を赤裸々に語っていますから、テキストしての価値は大きい。避けてるわけじゃあない。だから改めて考えると、あれは讃美歌……あるいは、祈り、ですね。

10、一番好きな賛美歌は?

ーー最後の質問ですが、林牧師のおかげで地続きのお話になります。林牧師が一番好きな讃美歌は何ですか?

(林牧師、讃美歌集を持ってくる)

「讃美歌二編」の167番、「われをもすくいし」。

ーーあっ、これは(原題が)「アメイジング・グレイス」!

日本語訳にもいろんな歌詞があります。
「讃美歌21」という讃美歌集では、同じ曲でも別の歌詞になっています。「くすしきみめぐみ」という題ですね。

ーー明学では「讃美歌二編」と「讃美歌21」、それから「ともにうたおう」は全く歌いませんでしたが、なぜでしょう?

「ともにうたおう」は、フォークっぽい歌が収録されています。僕も使うことはないですが、キャンプの時にギターを演奏しながら歌うような歌じゃないかな。全然知ってる歌が見つからない……。

ーー通常の「讃美歌」と「第二編」ではどのような違いがありますか?

年齢にもよるんだけど、「讃美歌」の方が誰でも親しみを持てるんじゃないかと。「第二編」はそこに追加されたもの。でも、讃美歌はアメリカやヨーロッパの作品ばかりなので、アジアやアフリカの讃美歌も入れましょう、ということで、21世紀に入る少し前から「讃美歌21」ができました。歌詞の上だと、「いつくしみ深き」という日本語を「いつくしみ深い」と現代的にしているんですが、それはあまりウケが良くないらしい。

ーーなるほど、そんな事情があったんですね! これで10個の質問に全てお答えいただきました。林牧師、ありがとうございました。

追記:「解放の神学」

ーーところで、蒲田教会のウェブサイトを見ていたら、林牧師のプロフィールの欄に、南米に行かれていたと書いてありましたが……

1年弱だけどね。中南米のキリスト教を知りたいということで。

ーー北米とかヨーロッパとかとは様子が違っているでしょうね。

世の中、英語ができる人は山ほどいるし、僕が結局できなかったドイツ語もできる人がたくさんいるけど、スペイン語は周りで誰もやってなかったから、試しに学んでみたら、ドイツ語ほど難しくなくてね(笑)。
あと、もう一つの理由として、あの地域には、「解放の神学」というものがあるんです。南米諸国が軍事独裁政権だった時代があり、その時キリスト教徒の人たちがノーを突きつけるようになった。その時に生まれたのが「解放の神学」です。その思想を持つ人たちが、どのように人権問題などに取り組んでいるのか、といった点に関心があって、南米に行きました。もちろん、体制側の教会もあるんですよ。それから、根っからの反体制ではないけれど、苦しんでいる人たちを助けるという意味で、結果的に反体制になってしまった人もいる。そんな「解放の神学」の現場に触れに行きました。

ーー20世紀の後半に南米で形成された神学なんですね。

そう、形成され……弾圧された神学です。

ーーその考え方を持っている人は、年代を考えれば、まだ存命でしょう。

存命の人はいますし、今の教皇フランシスコも、影響を受けています。彼は共産主義革命は求めていないけれど、貧富の差に苦しむ人をサポートしようという思想を強く持っている人です。
でも中には、「やはり社会的な革命を起こさないと世の中は変わらない」と銃を持った神父も、かつてはいたらしい。僕は銃は持たないですけどね!

ーー時代ごとの神学の地勢図の変化も興味深いです。そのお話も、いずれお聞きしたいと思います。