文学を味方につける

文学の定義、説明できますか?


「文学」というのは、どうも世間では、
「古くて難しい小説」
のことだと思われているらしいんですよ。

しかしこれは誤解です。
「文学」は「literature」の訳語であって、元はラテン語の「litera」=「文字、文字で書かれたもの」までさかのぼります。
この意味では、数学だって文学です。当然ですよね。

解説する対象を絞り込むため、このページでは、
文学→文芸作品
という意味で考えます。
つまり、小説も、詩も、演劇も含みます。
(エッセイや評論はどうなるんだ、という声は無視しましょう。そういうものは単に読めばいいのであって、文芸作品は扱い方が違うのです)

文学を味方につける、具体的戦略


文学を味方につける方法を4つ挙げてみます。
(もちろん実際には、これ以外にもいくらでもあるでしょう。)

1:文字を操ることでしか産み出し得ない表現を読む
(時間をかけて文字を書いたり、日常的表現を一切使わないようにすることではじめて考えられることを産み出す。これが、文学の最大の力。)

2:自分がまだ考えたこと・感じたためしのないことを、考え感じる体験をする
(1に近い。生まれて初めてのことを経験するのは、現実世界で他人や未知の現象を理解するトレーニングになる)

3:過去の社会を追体験する
(時間も場所も隔てられた舞台は、今の自分の常識を粉々に破壊してくれる)

4:コミュニケーションの例として見る
(コミュニケーションは、相手や状況によっていくらでも変わる、ということを、実例を持って確認できる)

「物語を楽しむ」は、除外しました。
そんなことは誰にでもできるし、楽しむだけで満足することは「味方につける」ことにはならないからです。

文学の読み方、その具体的方法


よく言われる「自由に読めばいい」、という、誰が言ったかわからない教えに従うと、結局、曖昧な読後感を心の中に残すだけで終わります。
「味方につける」読書は、徹底して「技術」だけ用いて、テクストの海から「知恵」を抜き出す作業です。

作業の方法は、大まかに、以下の4つに分類できます。

・内容読み
シンプルに、場面転換の流れを追っていく。すると、理解できない部分にぶつかることがある。エンターテインメントのようにラクラク楽しめるわけじゃない。
そこで、なぜ理解できないのか、を考えながら読んでいく。
何か新しい知識が必要なのか。わざとわからないように書かれているのか。
知識がなくても理由を考え、自分で補完して読み進めたりする。

・表現読み
「小説を味方につける方法」参照。
自分が考えもしなかった言語表現に、なるべくたくさん遭遇することを目標に読む。
表現の受容力は、表現の発信力につながる。

・形式読み
一人称・二人称・三人称、書簡体形式、会話形式、報告書のような書き方、など、文章の書かれ方そのものに意味を見出そうとする読み方。
基本的に、個性的・エキセントリック・難解な形式は、そうした形式でしか伝えられないことを伝えるために用いられている。

・外部読み
どんな作者が、どんな時代に、なぜ個性的な書き方で書いたのか。
調べたり、調べて得た知識を使って考えることで、隠れたメッセージや時代・社会に及ぼした機能を知る。

難しい? それがチャンスだ。


本気で書かれた文芸作品は、理解できない記述に出会うことが少なくありません。
しかし、それは、難解であるわけではないのです。
今までの自分が、考えたことも感じたこともない何かが、眼の前に書かれている。
だから、単に、理解が及ばないのです。
この、「今の自分には理解できないこと」にひとつでも多く出会うということが、「文学を味方につける」ということなのです。

単に読者の知識不足で難しいならば、予備知識をつけるか、早々と読書を放棄するのが正解です。
ただ、知識が無いとまったく楽しめない作品、というのは、意外と多くありません。

もちろん、文学を味方につける必要が無い人は、いくらでもいるでしょう。
たとえば、他人のことなど考えず、過去のことも考えず、ただ自分と現在だけを考えればいい、と信じ生きている人です。
もっとも、そういうタイプの人が、真に社会に貢献するとは考えにくいわけですが。